昨日、仙台経済同友会さん向けに商店街の抱える課題について、少し簡単に概略をまとめて説明したので、備忘録的なメモとしてご紹介します。最後に丸亀町に視察にいかれるということだったので、少しその話も入れています。

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■中小商業を取り巻く制度政策の変更
・戦前には、「百貨店規制」の百貨店法が制定。その後戦後も改正。
・戦後に入り百貨店法の規制にかからない「大型店規制」のため大店法が制定
・伊勢湾台風などを契機にして、商店街振興組合法が制定
 参考になるレポート「商店街振興組合法の成立過程とその意義」濵満久・著
・1980年代には日米経済摩擦から、大店法撤廃の方向に。
・その前後から「コミュニティマート構想」など、地域に根付いた商業ということでまちづくりの視点が積極的に導入される。
・90年代から段階的規制緩和
・2000年を境目にしてまちづくり三法体制に移行
・2005年のまちづくり三法改正

■商店街組織の今
・商店街振興組合の収入は「割賦金収入」が基本。認可法人であり一定の公共福祉に寄与するという考え方から事業収入は取り扱いが困難であり、行政としては事業団体というよりは相互扶助組織として取り扱ってきている。
・そのため振興組合の主力事業は「アーケード」「カラー舗装」「街路灯」。そこにポイント事業、イベントなどのソフト系集客事業。
・主要自主財源である「割賦金(各加盟店からの負担金)」を元手にして補助金を活用して各種整備をやる。
・全てコストセンター事業(つまり収益にはならない経費支出型の事業)。稼ぐのは個々の商人という位置づけ。
・また、各店舗の営業活動/経営に関しては不可侵条約。となりがどのような商売の中身なのかも誰もわからない。
・経営が順風満帆な時代には良いが、今となっては商店街振興組合は単なる金食い虫。自分たちの経営にはダイレクトに関係ない経費としての組合費、アーケード負担金。組合員数は減少。
・また、先のハード整備に必要な資金の一部は借り入れを起こしたりしており、これらは理事が全て連帯保証人となっている。そのため、役員の引き受けても少なくなってきている。(役員は無報酬が基本)
・結果として、組合員の減少、役員の高齢化と引き受けての不在、収入の減少により新規事業ができず、さらにこれまでの負債の返済のめどが立たない。
・にもかかわらず、振興組合は組合なので、総会の全体合意制度。意志決定も遅く、いい時代の記憶から変わることができない高齢化した元役員などの組合員が「ごねる」ような状況も。意志決定がどんどんと遅くなり、さらに若手のやる気ある経営者は離れていく。
・結果として、振興組合は低迷を続ける。

■どういう商店街が元気か?
・70-80年代から自主事業財源事業に積極的に取り組んだ商店街。(駐車場やビルなどの不動産経営、カード事業、ポイント事業などを顧客還元ではなく、収益事業として取り組んだところ。一般的には集客のためのコストとしてやってしまったところが多く、それだと駄目) →丸亀町、長崎浜んまち、東京武蔵小山など
・各店舗経営に介入し、事業システムの中に商店街組織を入れ込んだ。(自由が丘、長崎等のクレジットカード一本化、横浜元町の金融機関との一括融資交渉など)
・若手をぱしりとしてイベント要員とかだけに使うのではなく積極的に役職登用し、重鎮たちも「若手にチャレンジさせ、自分は何かあった時に場を収める」というような役割を強く認識している。
・店を続ける上で、商店街があることで明確に経営上プラスになる(つまり利益が増える、資金調達が行いやすい、など)という体制を作れるか否か。それによって存続も分かれるし、そういったことを効果的にやっている商店街には良い経営者も集まり、結果として活力が生まれる。
・逆に言うと、自主事業財源は全くなく既存事業者の負担金だけに依存しているところ、若手をただ使うだけのところ、店舗経営において商店街があって助かる、という状況になっていないところなどは当然ながら元気は失われる。つまり商店街の事業経営と効果的な人事循環、商売の主体の変化を作り出しているところは今でも元気。これは会社と一緒。

■本業の経営に関わること
・商店街自体も稼がないと駄目。割賦金依存は既に崩壊。しっかりと各店舗の事業に介入し、それらを効率化されたり、共に成長する中から収益を生み出していく健全なやり方に変える。
・個別店舗の経営悪化や従前債務問題(金融機関との問題)などを直視しないと、商店街の本格的な活性化は困難
・商店街組織自体も振興組合だけでなく、株式会社(一般事業会社やSPC)、政府系投融資、補助などを戦略的に活用していくことが求められている。つまり商店街経営全般に関わる勉強が必要。
・丸亀町とかが評価されるべきなのは、再開発事業や土地の所有と利用の分離という方法論の話ではなく、早期に自主事業財源を主体とした商店街を作ったこと(今は組合費依存率10%)、若手人材にその収益事業設計をさせる経験を積ませてきていること(先々代の商店街役員陣の時代から)、商店街の店舗経営者が構造的に抱える従前債務の解消、店舗経営のマネジメント会社による統合管理などにダイレクトに踏み込んだチャレンジにある。