いろいろなことが始まる四月。地域に関わる仕事を始める方もいらっしゃるかと思います。

こないだ今地方に必要な推薦図書を求められて、「学問のすゝめ」を指定したんだけど、学校では全く的外れな、諭吉は人間皆平等ということを言った、みたいなちょー粗い話になってるけど、読めば全然違う。

世の中不平等なのは、学問してるやつとしてないやつの差だ。学問せい!学問しないとあんたの人生も国も潰れるぞ!ということが書かれているのが分かる。だけど学問は単に古文や和歌とかそんなものではなく実社会でも役立つ実学でもあるという話は今の時代こそ地方に必要な話そのものでもある。

今は原文はタダなのでぜひどうぞ。まぁ江戸時代の身分制が終わり、かつ欧米列強の中での日本という環境における自己啓発本的なものですが、当時の日本にとっては衝撃的だったんでしょうね。身分ではなく、学問か!と。それで反応したのが壱岐の松永安左エ門はじめとして地方の自由のきく若者たちだったのも印象的です。

今もそのあたり学ばざるして成果を出そうして、労力かけて、予算かけても失敗してるのを見ると、本質的ないまの時代に即した新たな学問のすゝめが求められていると感じます。

『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々しもじもの者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本もとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。』

学問のすゝめ